海外の大学への進学について(7) ―帰国生大学入試についてvol. 378―

(2024年2月17日 17:30)

こんにちは。SOLの余語です。
昨年12月16日の記事では、ここ20年、多くの論者が「これからは不確実性の時代となる」と述べているが、新型コロナウィルスの感染が世界的に拡大したり、先進国においても「トリアージ」といった言葉を見かけることが増えたりしたように、現代社会がこれまでに体験したことのない新しい事態が生じていることを踏まえると、そのような変化に個人的に、もしくは社会を支える有権者の一人としてどのように対応するのかを考えるために大学で専門性を身に付けるのが望ましいという話をしました。これも僕が海外の大学への進学を慎重に検討すべきと考える理由の一つです。

さて、僕は以前から生徒から映画やドラマについてお勧めを受けると、なるべくそれを見るようにしています。少なくともここ4、5年は韓国ドラマのファンがこの教室で急増していることもあり、1年に10作品くらいのペースで僕も見ていますが、その中で最も強く印象に残っている作品の一つが『ナビレラ―それでも蝶は舞う―』です。このドラマでは、郵便局を定年退職し70歳になった男性が少年時代からの夢であったバレエダンサーを目指してトレーニングを受けるという話が主な物語の構成要素になっており、見始めた時点では映像の美しさだけに感銘を受けていたものの、エンディングに近づくにつれてその男性の思いに強い共感を覚える自分がいたように思います。

洋の東西を問わず(もちろん日本も含めて)、このような「本来、自分がしたかったことがあったが、生活のためにそれを諦めざるを得なかった」人物が主人公となる映画やドラマは数多く作られてきていますが、特に社会に出てから長い期間が経つ人の中にそのようなキャラクターに自分の姿を投影する人が多く存在することがその背景にあるでしょう(僕がいい作品だと言っているのを聞いて見た生徒が「自分はあまりよく分からなかったが、両親がとても感動していた」という話をするのをよく耳にします)。最近、マルクスの『資本論』が世界中で再び注目されるようになり、日本でも東京大学の斎藤幸平氏の著作がベストセラーになっていますが、そこに登場する「労働における『自己疎外』」という概念に通じるところがある話なのではないかと思います。

このように、これまでの社会においても多くの人が(強弱に関する程度の差こそあれ)やりきれない気持ちを抱いていたり、問題として取り上げてきた状況は、雇用に関するものを含めた様々な新しい問題が生じるとされるこれからの時代においても相変わらず解消されないままであるでしょうし、より大きな精神的な負担を人々に課す可能性も考えられます。その中で僕らが幸福感を持ちながら生活していくための方策としては、自分がやりがいを感じたり「ハマっている」という手応えがあったりするものを身近に置いておくことが考えられます。

そして、それは法律上の問題がなければ何であっても問題がないと僕は考えていますが、例えば韓国に限らず様々な国の映画やドラマを見る時に、それが制作された社会の歴史や現状についての深い理解があるとより楽しく、もしくは強い感動を覚える形で鑑賞できるということが少なくありません(僕が大学生の頃に最も出席した回数が多かったのは「アメリカ地域文化論」という授業ですが、それは『夜の大捜査線』という映画を題材にアメリカ社会を分析するというものでした)。

このように何かに強い興味を持つようになるには専門的な知識や考え方が大きな役割を果たすことがあるのも、どのような言語を主に使用する大学に進学するのかについて慎重に検討すべきと僕が考える理由の一つです。

それでは、日本の大学の帰国生入試やAO入試の受験に関してご質問などがありましたら、以下のフォームからご連絡いただくか、info@schoolofliteracy.comにメールをお送りいただければと思います。よろしくお願いいたします。

【教育相談フォーム】
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