こんにちは。SOLの余語です。
2023年8月9日の記事では、周りの人とコミュニケーションを取るための最も簡単な手段の一つだと僕らが考える「質問をすること」を、プライバシーや個人情報に対する意識が過度に高まったことによって、「人の生活の様子を詮索すること」であり「他人を不快な思いにさせるもの」と捉えられるようになった人が増えていると述べました。このような変化を受けて、自己評価(self-esteem)が低い人が日々の生活で出会う人々と関わり合いを持つことにさらに及び腰になっていると考えられます。
僕は1976年生まれで、今年で48歳になりますが、この間人々と情報機器の付き合い方が大きく変化するのを見てきました。物心ついた頃はテレビや音楽を聴くための機器は家族で共有するもので、例えばどの時間帯にどのテレビ番組を見るかが大人と子どもの間で話し合いを行う対象になっていました。その後、個人で使用することができるラジカセと呼ばれるラジオや音楽を楽しむことのできるものが低価格化しただけでなく、SONYが携帯用音楽プレーヤーであるウォークマンを発売したことによって、どのような環境でも自分が聞きたい音楽作品にふれることが可能になりました。そして、ゲームに用いるデバイスやPCなどの小型化により、視覚的な情報にふれる機会も同じような方向性で増え、現在はその全てを統合したスマートフォンが普及し、それに付随したサービスが発展したことで、いつでもどこでも自分の必要性や好みに合ったものを利用できる状況になっていると言われます。
僕は一昨年初めてスマートフォンを購入したのですが、その利便性に驚くことが多い一方で、SOLの教室において、少なくともグループ指導に参加し始めてから数週間、授業外の時間に周りの人とコミュニケーションを取るのではなく、イヤホンを付けスマートフォンの画面にずっと目が釘付けになっている(ように見える)人が増えているように思います。この傾向は、YoutubeやNetflixのようにテレビを見て育った僕から見ると無限に映像情報を提供してくれると思えるサービスが充実したものになっていく中で加速度的に強くなったものであり、音楽を聴くことができただけの頃に比べると周りの人の目線を気にしないで「自分の世界」により深く入り込むことができるようになったことがその背景にあると考えられます。
スマートフォンから流れてくる映像情報に没頭することが自分の知性や感性を刺激してくれるということであれば問題がないように思えるのですが、このような傾向がある人にいろいろと話を聞いてみると、他の人と空間や時間を共有し何か話をしなければ気まずい雰囲気になるような状況でスマートフォンの画面を見ていることが自分に「逃げ場」を与えてくれると感じているようですし、自己評価が低い人の中には「自分が話をすることで場がシラケてしまうということを避けられるのでよい」と言う人もいます。また、隣に座っている人などがスマートフォンを使っていると、「自分が話しかけることによって邪魔をしてしまう」と考えている人も少なくないようで、スマートフォンの存在がある場所に集まる人々の間で起こるはずのコミュニケーションを様々な形で阻害するということが起こってしまっていると考えていいのではないかと思います。
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現在の教室の状況について(2024年1月29日)―SOL帰国生大学受験セミナーについてvol. 279―
(2024年1月29日 18:45)