現在の教室の状況について(2024年1月22日)―SOL帰国生大学受験セミナーについてvol. 277―

(2024年1月22日 19:15)

こんにちは。SOLの余語です。
昨年の12月18日に掲載した記事は、中学受験をする際に父親が学習のあり方に関して厳しい態度で接したことなどで不登校になってしまった少年の状況を取り上げた「NHK教育サイト」の記事の内容を紹介しました。そこでは、父親が問題となった行動を取った理由をいくつか挙げているのですが、僕が注目しているのは「子供は、自分の分身だと思っていた」という言葉です。

僕がこの言葉を見た時に頭の中に浮かんだのは、「自分の分身」という表現の中にある「自分」とは誰を指しているのかという疑問です。この父親は自分でも中学受験をした経験があるそうですので、少年と同年代であった頃に考えていたことや感じていたことを詳しく記憶していて、それを「自分」としている可能性がありますが、一方で様々な社会的体験を蓄積し精神的にも成熟している大人になった「自分」を指しているとも考えられます。この点については、SOLの生徒の中で「SOL帰国生大学受験セミナーについてvol. 269」で取り上げたのと同じような状況に直面した経験のある人の話が参考になると思います。

彼ら/彼女らが中学受験時の保護者の人から投げかけられた言葉で最も記憶に強く焼き付いているものとして挙げられることが多いのが「なぜこんな問題もできないのか?」というものです。確かに中学受験の準備に用いられるテキストにある問題の中には小学4~6年生の人でも前後の説明をしっかりと読んでいれば解けてもおかしくないものもありますが、ほとんどのものが、社会や理科などといった科目であれば高等教育まで受けた人にとっては一般常識の範囲を超えないものでしょうし、国語は比較的容易に読める文章に関するもの、算数は数学として中学高校で学ぶものに比べれば基礎的なものとして認識されるものだと思います。

また、「NHK教育サイト」で取り上げられた事例のように、保護者が中学受験をした経験があるのであれば、受験生が取り組んでいる問題についてはその解法をすでに理解している状態(もしくは、何らかのきっかけがあればそれを思い出すことのできる状態)に彼ら/彼女らがあり、例えば図形の問題でどこに補助線を引くべきなのかといったことを考える際のコツも身に付けているはずです。自分の子供が目の前にある問題をなかなか解くことができないのを見てイライラしてしまい、上で見たような言葉を投げかけてしまっているのであれば、「子供は自分の分身だ」と言う際の「自分」とは既に大学までの一通りの教育を受け大人になった現在の「自分」であると解釈すべきなのかなと思います。

このような観点から見た時に、中学受験の準備の中で学習を進めて行くのに大きな負担を感じている人に保護者が投げかけることの多い言葉の中で気になるのが、「中学受験をするのは自分で選択したことである(のでその責任を最後まで果たすべき)」というものです。これは、心身の状態が健全で、社会的な生活を送るための能力を身に付ける機会を十分に確保することができた大人が何らかの責務を担おうとしない場面では発していい言葉なのだと思われますが、果たして小学4~6年生の児童が学習で成果が上げられない時にも用いていいものなのでしょうか。次回はその点について考えてみる予定です。

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