4月5日から4月9日までの個別指導などについて―SOL帰国生大学受験セミナーについてvol. 150―

(2021年4月5日 19:00)

こんにちは。SOLの余語です。
前回は、帰国生入試やAO入試において第1志望の大学や学部・学科に合格した人がその後も受験を続けることを黙認することを通じて、”Winners take all.”という考え方が正しいとのメッセージを送ることが、グローバル化の進展やAIの導入などによって知的な水準が高い人でも「他者と支え合う」ことを生存戦略の一つとして考えなければならない状況の中に置かれる彼らにとって不利益となるということを述べました。そもそも”Winners take all.”と考えることに正統性があるとされたのは一部の地域や時代に限定された話であり、それがあらゆる状況に妥当するものとすることには無理があると思われます。

現代の日本社会では、戦後に見られた高度経済成長が終わった後にグローバル化が進行する中で、社会生活を送るのに必要な資源を十分に確保する機会に関する格差が拡大する一方で、国民の生活を支える公共的な制度が不足していることが問題視されています。このような状況に関して、多くの論者がその背景にあるものや解決策に関する見解を提示していますが、このところ目立つようになってきたのが、社会を構成する人々の間で「他者が置かれている状況を慮る」ことの重要性が見失われているというものです。

例えば、慶應義塾大学の井出英策教授は、OECDが行った国際的な調査の中で、日本における「他者を信用しない」という質問に「はい」と答えた人の割合が他の国々での結果に比較して遥かに高いという結果を引用した上で、これが我々の社会で生活保障のための制度が充実しない原因の一つであり、全ての人を対象とする「生存主義」に基づいたものを導入することでこの状態を克服しようという提案をしています。教育を含めた公共的な制度は運用に必要な費用を現時点で恵まれた生活を送っている人が負担しなければならないことを考えると、人々の間で「他者が置かれている状況を慮る」意識が低下していることが大きな問題として扱われることは不思議ではないと言えるでしょう。

この点、ここ20年の間に日本でも多く見られるようになった「自己責任」を軸とした新自由主義的な(市場の活動に対する国家などの干渉を最小限なものにすることで経済の活性化を図るというものです)人がその考えを正当化するためによく引用される文献にアダム・スミスの『国富論』があります。その本の中では国家の役割を外交に限定し経済活動は全て市場に委ねることで人々に富が行き渡ると主張しているとされますが、彼は『道徳感情論』といった文献で、人間は利己的な合理性の他にいくつかの「徳」を内面化しており、例えば社会的弱者の置かれた境遇に共感し彼らを救済するという形で「正義」を実現すべきと考えるものだと書かれています。アダム・スミスの研究をしている人の中には、このような人間像が前提になっているからこそ彼が「市場の活動を最大限保障すべき」と主張したのだと解釈する人は少なくありません(この問題について扱った文章が10年くらい前に一橋大学の帰国生入試で出題されました)。

昨今の状況を見ていると、アダム・スミスが考えた通り、人間に「正義」を実現しようという「徳」が内在しているのかどうか分からなくなりますが、少なくとも教育機関において「他者が置かれている状況を慮る」ことの重要性は確認できるでしょうし、それが教育に関わる人の社会的な責務の一つだとも言えます。そのようなことを踏まえると、”Winners take all.”という考え方を正しいとするようなメッセージを将来の社会を担う若者に送ることの問題性を僕らはもっと真剣に考えるべきだと思います。

さて、今週の個別指導や個別面談についてですが、東京23区やその近郊で新型コロナウィルスの感染者が再び増加しているようです。そのため、公共交通機関を使って教室に来る場合、ターミナル駅を使わないのであれば対面で、この条件を満たせないケースではzoomなどを使ってオンラインで行うことにします。よろしくお願いいたします。

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それでは、帰国生大学受験セミナーのグループ指導の内容や日程などに関して情報をご希望の方は以下のフォーム、もしくはinfo@schoolofliteracy.comよりご連絡ください。よろしくお願いいたします。

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