受験する大学や学部・学科の選び方について(2021年版)(5)―帰国生大学入試についてvol. 294―

(2021年4月16日 18:55)

こんにちは。SOLの余語です。
前回の記事では、日本語を母語とする人が英語圏の教育機関で学ぶ場合、そこでふれたものに対する理解が「フワッとした」ものになってしまう可能性があるということを述べました。それは日々自分の母語ではない言語で見聞きする新しい情報が膨大なものになることに起因していますが、それでは今後ますます「知識基盤社会」化する先進国では社会に貢献することが難しくなるかもしれません。そのようなことを考えると、英語を主な使用言語とする大学や日本の大学の英語プログラムへの進学は慎重に判断すべきでしょう。

さて、日本人が外国から来た人と日本語で会話している様子を想像してもらうと分かりやすいと思うのですが、ある言語を母語とする人とそれを外国語として学んだ人がコミュニケーションを取る場面においては、前者が圧倒的に有利な立場に立つ可能性が高くなります。その背景には、一般的に母語話者の方が使うことのできる語彙や表現の量が多く、文の形などがしっかりと頭に定着していることなどから、相手が言っていることの内容を理解したり自分の発言を構成したりすることに伴う負担を外国語として学んだ人よりも感じないために情報処理のスピードが速いことなどがあります。

例えば、国際的な会議などでよく見られる政府間の公式な交渉では、それぞれの国の担当者が通訳を介して会話をするのが一般的ですが、それはそこで用いられる言語を例えば英語に統一してしまうと英語母語話者のペースで交渉が進んでしまうことが考えられるからです。このような母語話者とそうでない人の間の言語に関わる非対称性の問題が一つの国の中で重要視されるケースも国際社会にはあり、インドやアフリカ諸国のように様々な言語を母語とする人が共存する地域では公用語をどの民族にとっても母語ではない言語(植民地時代の宗主国の言語であることが多いです)を選択する事例が見られます。

前回の記事で引用した、「知識基盤社会」化する先進国において求められるものについて書かれた学習院大学の佐藤学氏の文章には「他者と協同するコミュニケーション能力」という表現があったのを覚えている人もいるかと思います。この能力は「創造的な思考や探究」を行うのに必要なものと位置づけられていますが、コミュニケーションを取る相手の発言の内容を批判的に検討し、その問題点を共有したり解決策を提示したりするといった「能動的」なものでなければ(言い換えると、相手の言っていることをただ理解するというものであっては)あまり意味がないということになります。

この点、例えば日本語を母語とする人が英語圏のネイティブと英語でコミュニケーションを取る際には、英語母語話者の発話のスピードや表現の巧みさに圧倒されてしまい、「受け身」の姿勢になってしまうことが少なくありません。実際に、ある大学の国際教養系の学部では、英語圏の国から来た留学生が話していることを日本人の学生が絶対視してしまい、教員の言うことには(学問的に重要なことであったとしても)なかなか耳を傾けるということがないために授業の内容が発展的なものにならなかったり、学生の知的な成長が頭打ちになってしまったりするという光景が度々見られるそうです。

よい大学に入学できたとしてもこのような「受け身」の姿勢を身に付けてしまっては、「知識基盤社会」化した社会では評価されるということにはつながらない可能性が高くなってしまいます。このような観点からも日本語を母語とする人が英語圏の大学や日本の大学の英語プログラムに進学することには慎重な判断が必要だということになるでしょう。

<「受験する大学や学部・学科の選び方について」の各記事へのリンク>
「帰国生大学入試について」vol. 260
受験する大学に関する最終的な決断をするために、自分の学びたいことを扱う授業があるのかを確認することが必要です。この記事ではその確認のための方法を説明しています。

それでは、日本の大学の帰国生入試やAO入試の受験に関してご質問などがありましたら、以下のフォームからご連絡いただくか、info@schoolofliteracy.comにメールをお送りいただければと思います。よろしくお願いいたします。

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