受験する大学や学部・学科の選び方について(8) ―帰国生大学入試についてvol. 253―

(2020年6月15日 11:35)

こんにちは。SOLの余語です。
前回の記事では、ICUや慶應義塾大学の総合政策学部・環境情報学部のようなリベラルアーツ的なカリキュラムを採る大学や学部への入学を目指す場合に、志望理由が「大学で学びたいことがわからないから」ということではまずいということを述べました。ここ数年、日本では国や経済界からの「グローバル人材の育成」という強い要請を受けて「大学は何のためにあるのか」ということについての議論が起こりましたが、そこでは「世の中で当然とされていることを疑いその正しさを様々な角度から検証すること」が社会的使命であるという主張が一定の支持を集めました。そのような場に集まる研究者に自分のこれからの4年間の生活のあり方について考える姿勢がないことを見せるのは望ましいこととは言えないでしょう。

我々が上で述べたように考えるのには、大学入学時に「何をどのように学びたいのか」ということについて自分なりのイメージがないと、教養学部的な大学や学部での4年間を得ることの少ないまま過ごすことになる可能性があるということもあります。このようなタイプの大学には、ICUや上智大学国際教養学部のように大学3年になる時点でメジャー(専攻)を選ぶことになっているところがあり、ここでは大学生活の前半の2年間で学んできたことを基に自分の学問的な関心がどこにあるのかについて時間をかけて考える機会が与えられ」、一つ一つのメジャーが研究領域とする学問を一から順序だてて学ぶことができるので、何について深く追究していきたいのかという点で定まるところがない、もしくは実際に自分が関心を持っているテーマについて学術的な形で深堀りするという体験をしないまま学生生活を終えてしまうことはないかもしれません。

しかし、慶應義塾大学の総合政策学部・環境情報学部や早稲田大学の国際教養学部で採られている履修システムは、どの科目の授業をどのように取っていくかということの全てが学生の自主的な判断に委ねられており、メジャーを選択するということもない形になっています。このような大学・学部に自分が学びたいことが判然としない状態で入学すると、その時々の状況で様々な分野に関する授業を「つまみ食い」的な形で取ることで、結果的にある学問を系統を立てて学んだり、社会的な問題などについての考察を学術的な視点から深めていったりする機会を逸するということにつながることが考えられます。このような状況になってしまうと、人々が生活を送っていく中でこれまでに見られなかった劇的な変化が多く生じると言われる現代社会において、自分なりに物事を考えて行動する姿勢やそれを支える多くのことを調べ学んでいく技術を身につけるために重要な4年間が意味のないものになってしまいかねません。

このようなことを考えても、特に教養学部的な大学・学部の中でよく言えば学生を「大人」として扱うようなところへの入学を希望する場合には、「自分が大学で何を学びたいのか」ということを真剣に考える時間を設けることが必要だと言えると思います。

それでは、日本の大学の帰国生入試やAO入試の受験に関してご質問などがありましたら、以下のフォームからご連絡いただくか、info@schoolofliteracy.comにメールをお送りいただければと思います。よろしくお願いいたします。

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