こんにちは。SOLの余語です。
「帰国生大学入試について」では、前回まで自分の学問的な関心や適性を把握する(もしくは、この点に関して他人からアドバイスを受けるのに必要な材料を揃えておく)ために、読書をしたり社会的な活動に参加したりすることに時間を充てることが望ましいということを説明してきました。もちろん、これらの活動は高校での学習に優先すべきものではありませんが、自分の学問的な関心や適性を確認することは受験準備を順調に進める上でも、そして大学での4年間の生活を充実したものにすることを考えても大切なことですので、無理のない限りで積極的に取り組んでもらえればと思います。
さて、読む本や参加する社会的な活動を選択する際には、念頭に置いておくべき点が一つあります。それは、現時点での自分の好みやこれまでに蓄積してきた経験にこだわらず、できるだけ多様なものにふれるよう心がけるということです。このような方向性で選択を行なうことの重要性は、今年度、オーストラリアの高校を卒業したI君が示してくれていると思います。彼は一昨年の12月にSOLへ通い始めた時点では、大学で経済学を学びたいと言っていましたが、その後様々な本を読んでいくうちに内田樹氏の『下流志向』と出会い、「アイデンティティが崩壊するほどの衝撃を受け」(I君談)、それまで持っていた「経済学は社会現象を分析する上で万能な学問である」という考えに自信が持てなくなったそうです。そして、昨年の春の時点でICUや早稲田大学政治経済学部のような社会科学を総合的に学べるところに受験校を変更したものの、秋の段階では準備が間に合わず、最終的に一般入試で慶應義塾大学の総合政策学部に入学することになりました。
I君のように、ある出来事をきっかけに自分の思考のあり方が劇的に変化するということは十代の人には珍しいことではありません。多くの先進国では成人年齢に達する前の人は大人に比較してより多くの権利が制限されていますが、これは若者の合理的な思考力が発育途上にあることの表れであると解釈できるのと同時に、彼、もしくは彼女が社会で自律的に行動するには十分な生活体験を有していないためと捉えることもできます。そして、様々な文学作品が伝えているように、そもそも人間はいくつになっても「新しい自分」を発見する可能性があることを考えると、20年弱しか生きていない人が予想も付かないような自分の姿に出会うことが頻繁にあったとしても不思議はないと言えると思います。
自分の学問的な関心や適性に関してできるだけ正確な理解(仮に、このような理解を得ることができたとしてもその時点での一時的なものに過ぎない可能性もありますが)を持ち、入試に臨む直前に気持ちが揺らぐことを避けたいのであれば、現時点の好みだけで読む本や参加する活動の選択基準にすることは望ましいこととは言えません。生理的に嫌悪感を抱くようなものでない限りは、試しに何でも取り組むような姿勢を持つことが大切であると考えるべきでしょう。
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北半球の高校生の受験準備に関してvol.18 ―帰国生大学入試についてvol.160―
(2013年3月13日 18:35)