こんにちは。SOLの余語です。
前回は、僕ら教師陣が授業の内外で生徒とコミュケーションを取る際に「楽しい雰囲気」を重視する理由を述べました。それは、「日本における大学受験」と連想されることが一般的である「緊張感」が日々の学びを阻害する可能性があるということでしたが、教室の雰囲気作りを上のような点を考えながら行なっている理由は他にもあります。
先日、内田樹氏の『こんな日本でよかったね―構造主義的日本論』(文春文庫、2009年)という本を読んでいたら、「子どもたちの学力はなぜ低下したか」という項に、教師が生徒にとってどのような存在であるかについての記述がありました。そこで、彼・彼女自身が「学び」を楽しんで行なっている姿を見せることが教師の最大の使命であり、その存在によって生徒が自分でも「学び」に対して楽しみを見出し、それに積極的に臨めるようになると内田氏は述べていますが、僕はこのような教師と生徒の関係の捉え方に共感を覚えます。
子どもは外的要因に影響を受けやすいものですが、「親の背中を見て育つ」という言葉が示す通り、周りの大人の立ち居振る舞いを見て、ある行動の意義や価値などを学びます。アメリカの著名な作家であるレイモンド・カーヴァーは父親が木材工場で働く家庭に生まれ、家に本がほとんどない環境に育ったそうで、同様の家庭環境にいた自分の周りの人の多くは読書の楽しみなど知ることなく、自らの親の後を追うように肉体労働者として高校卒業後に社会に出て行ったと述べています。これは現在の日本で格差社会について論じられるところに通じるものがあり、そこでは親子の学習意欲のあり方には強い関連性が見られることが度々指摘されます。
このようなことを考えると、子どもが学ぶことに対して積極的になるためには、親や教師など近くにいる大人が実際に本を読んだりその内容について議論したりするのを楽しんでいる姿を見せることが必要不可欠な条件ということになりますが、これは帰国生入試やAO入試の受験準備においては特に重要なことです。その理由は、帰国生入試やAO入試には小論文試験や面接試験のように、何らかのトピックに対する自分の考えを表明することを求められるからです。ここで受験生に求められるのは、主張がユニークであることよりも、論拠や具体例などによって十分にサポートされた説得力の伴ったものになっているかということであり、それを満たすために、自分の考えが「当然のものである」とか「常識に適っている」という態度を捨て、今までよりも踏み込んだ形で物事を考察できるようにならなければなりません。そして、「学ぶことは楽しいものだ」という感覚抜きにこのような姿勢を身に付けることは誰にとっても難しいことなのです。
そのため、僕らは授業の内外で様々なトピックについて話をする時に、それについて考えることに楽しみを感じるようにしていますし(このように書くとわざとやっているように読めますが、「楽しくない」のに「楽しいふり」ができるほど芸達者ではありません)、僕は単純なので「笑うこと」でそれを生徒に伝えているようです。他の予備校や塾の様子はよく分かりませんが、SOLの生徒はこのような僕らと日常的に接しているためか、テレビや新聞で見聞きする同年代の学生よりも総じて学習に対して前向きな姿勢を持っているように思われます。
それでは、今回の内容に関してご質問などがありましたら、以下のフォームよりご連絡ください。
【お問い合わせフォーム】
https://www.schoolofliteracy.com/contact/
帰国生大学受験セミナー通信vol.33 ―SOL帰国生大学受験セミナーについてvol.60―
(2013年2月8日 18:35)