帰国生入試の受験準備を行うのに最適な環境とは?vol.7 ―帰国生大学入試についてvol.76―

(2012年4月6日 12:05)

こんにちは。SOLの余語です。
前回の記事では、全般的に人間関係が希薄化している一方で、個人の趣向やアイデンティティなどを共通点として強いつながりを持つ小集団が数多く生まれているという現代社会特有の現象があり、これらは「競争」が万能だという考えが支配的なものになるのに伴って生じた(少なくとも、深刻化した)可能性があると述べました。もしこの解釈が正しいのであれば、「競争的な環境」はこれらの現象が見られるという点でも帰国生入試やAO入試の準備をする場として望ましいものではないと言うことができるでしょう。


「競争的な環境」が望ましいものか否かを評価するには、よい小論文とはどのようなものを指すのかということを検討することが必要になります。この点については、以前のブログ記事で、小論文とは字数の少ない論文であり、そこで展開した主張に対する論拠を十分に付け加えたものでなければ高い評価を受けることはできないということを説明しましたが、この論文の出来を決定する基準は、論文を書く際の一般的な人の目指すべき目標が「できるだけ多くの読者に、自分が文章中で提示した見解は全面的に賛同できるものでないとしても、そのような立場を取る人がいてもおかしくないものと認めてもらうこと」(あらゆる人が自分の展開した主張に賛意を示してくれるような文章を書くことは今までにほんの一握りの人間のみが実現できたことであり、多くの人にとってはあくまで到達可能性の低い目標に過ぎません)であることから派生したものです。


この論文を書くことの本来的な目的を満たさなければならないものと考えると、高い評価を得られる小論文を書くために、内容や構成、表現など、文章の様々な側面においてどのような点に注意すべきかということが明確になってきます。例えば、過去に小論文の授業で「義務教育機関→高校→大学→就職」という現代の日本社会で通常、想定されるキャリアパスを辿る必要性について論じる課題を出題したことがありました。このような論題に対し、多くの生徒が現実の社会において大学を卒業することが将来に関する可能性を最大限に広げてくれるということなどを理由に、常識的な進路選択を肯定的に捉える小論文を提出してきた中、ある一人の生徒の書いた文章の内容は、高校を卒業した段階で就職し国際的な舞台で活躍した自分の親類を具体例として用いる形で、キャリアパスは自由に構想しても問題がないというものでした。


僕はこの小論文で展開された主張には説得力がないと判断し低い評価を付け、答案のコメント欄には、具体例とされている人物が歩んだキャリアパスは読み手の多くが例外的なケースと捉えるものであり、それが文章中で紹介されたとしても、常識的な社会的生活を送ることの有効性に疑問を投げかけることにはならないことがその理由であるということを書きました。これは、上で述べた論文を書く際に目指すべき到達地点を考えると、文章中で具体例として挙げてもよい事象は、一般的に事実や社会全般的な傾向であると認められているもの、もしくはそれが存在することはあり得ることだと受容してもらえるようなものに限定されるということですが、この「できるだけ多数の人に受け入れてもらえるものを用いているか」という基準は、表現や文章の構成を考える際にも大きな意味を持つものです(最近はインターネット上に特有な単語や表現が多く見られるようですが、それらはこの点で小論文を書く際に使うものとして不適当なものということになります)。


今回述べた基準を意識して小論文を書けるようになるまでには、日常生活を送ったり受験対策の学習をしたりする中で一定の経験を蓄積していく必要がありますが、「競争的な環境」はそれに資するものだと言えるでしょうか。次回は、「競争的な環境」において人間関係が希薄になる、もしくは関係の強い小集団が生まれるという傾向を考慮に入れて、この点を検討してみたいと思います。


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