帰国生入試の受験準備を行うのに最適な環境とは?vol.6 ―帰国生大学入試についてvol.75―

(2012年4月4日 11:45)

こんにちは。SOLの余語です。
「帰国生大学入試について」のvol. 71からvol. 74では、小論文試験対策の学習を行う際に「競争的な環境」に身を置くことによって、受験生が他の人の答案などを模倣することに終始するという方向性で受験準備を進めてしまう可能性が生じることを説明してきました。このような姿勢を身に付けた受験生を生み出すような環境は望ましいものとは言えませんが、その他の観点からも同様の結論を導き出すことができます。今回は、その説明をする前提として、「競争」が万能だと考えられている現代社会で見られる現象をいくつか確認しておきたいと思います。


最近の新聞を読んでいると、「孤立死」といった現代的な問題について語る際に、社会全般でその構成員同士のつながりが薄くなっていることがその要因の一つとして挙げられます。このような状況が出来したことには、個人のプライバシーが重視されるようになったことや、消費社会化の進展(これは、以前は金銭の授受がなくても成立していた人間関係の中に現在はそうでないものが見られることや、消費主体をできる限り増やすために家族関係などの分断が起きたことを意味します)などの様々な事情が関係していると論じられています。


その一方で、「競争」が社会の支配的な概念になるにつれ、より一層深刻なものになっていることは内田樹氏などが指摘するところです。「競争」で生み出された勝者は彼/彼女があげた成果に見合った報酬を受け、それを自由に処分する権利を個人的に有するのに対し、敗者は自分の能力のなさや努力が足りなかったことの報いを受けるべきというスタンスに立つ社会では、それぞれ立場の違う人を気遣う余裕などないでしょうし、他人を配慮することが道義的に求められるわけでもありませんから、上で述べたような人間関係の希薄化が進んで行くことは無理のないことだと思います。


また、同様に現代社会で注目を集めているのが、趣味や関心、物事の好み、アイデンティティに関わる事柄(出身地や生まれた年代、使用する言語など)において共通点のある人びとが、つながりの強い小集団を形成していることです。例えば、秋葉原などの若者の集まる街にオタクと呼ばれる熱狂的なマニアが集まっている様子はテレビの様々なタイプの番組で目にすることができますし、大学でのサークル活動やインターネット上のコミュニティーにのめりこむという人もいるようです。また、国際社会で人種や民族を一つの単位として激しい利益闘争が展開されているというのも、つながりの強い小集団が形成されるという現象の結果と言えるかもしれません。


このような状況を、個人の趣向の多様化や情報技術が発展したことによって人々が関係性を構築する可能性が拡大したことによるものと捉える人々もいるようですが、激しい競争が行われている社会の中で自己の生存可能性を最大化しようと考えた人びとがつながりの強い集団を作り出したとも解釈できますし、人間関係が希薄化したことに対する危機感の表れと考えることもできるでしょう。もし、このような解釈が正しいのであれば、人間には「競争的な環境」において現在の自己の在り方に合った小集団の中に身を置こうとする傾向があると言えるはずです。


今回の記事で取り上げた2つの現象は「競争的な環境」に特有のものだと考えられる可能性がありますが、それは小論文試験対策を行う受験生に対して悪影響を及ぼすものだと僕は考えています。次回は、その点について説明する予定です。


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