こんにちは。SOLの余語です。
ここまで8回に分けて、帰国生大学入試だけでなく、あらゆる教育段階における入試の受験準備を行う場は「競争的な環境」であることが必要だという考えが、小論文試験を含む入試に向けた学習には当てはまらないということを述べてきました。その内容は前回の記事でまとめてありますので、そちらを参照してもらえればと思いますが、今回からは同様に受験対策を行う環境に望まれるものとして挙げられることのある「人数の多い環境」が帰国生入試やAO入試の受験生にとって学習成果を上げられるものなのかということを検討したいと考えています。
確かに、受講生が多い塾や予備校は、自分以外の人が多く学習環境として選択しているという点で、受験生に安心感を与えてくれるものです。大学受験における結果がある人の将来を一定程度決定してしまうことは否定できないことを考えると、数多くの人が信頼できると判断したものに追随しようとするのは理解できますし、人間が抱く心情としては当然のものと言えると思います。また、帰国生入試やAO入試のように、入試の実態に関する資料が少ないものに関しては、これまでに指導してきた生徒の数が多い塾や予備校の方が、信用できる情報を有している可能性が高いと考える人がいてもおかしくはありませんし、小論文試験に向けた学習においてできるだけ多様な人と意見交換をすることが重要なのであれば、授業に参加している人の数が多い方がよいということになるかもしれません。
これらのことを考えると、「人数の多い環境」は帰国生入試やAO入試の受験生に充実した受験生活を送るのに必要なものを与えてくれるように思えます。しかし、現代社会で見られる様々な現象や実際の生活体験から見て取れる人間の特性や、帰国生入試などの特殊性(これは、学科試験や出願の際に提出を求められるものが一般入試の多くでは見られないもので構成されていることを意味しますし、帰国生が日本の一般の高校生とは異なる教育に関する履歴を有しており、またそれについて一定の型が存在しないということも含んでいます)などを考察に含めると、そのように考えるのは正しくないようです。
例えば、海外の現地校や国際校に行って、母語やその他の文化的背景などを共有する人々が集団で行動する(特に、日本人や中国人、韓国人といったアジア圏の人は以前からこのような傾向が強いと言われます)のを目にした経験を持つ帰国生は多くいると思いますが、これは何も学校の中に限った話ではなく、お互いに相手がどのような人間かということに対して深い理解を持つことができないほど人が多く集まる環境ではよく見られる現象です。それは、欧米の大都市では、共通したエスニシティを有する人びとが集団になって生活を営む地域が数多く存在することからも確認できますし、エスニシティのような大きな違いでなくても、同じ地方の都市や町から大都市に出て来た人々が一つの地域に集まったり(日本の首都圏では、横浜市の鶴見にある沖縄県出身の人々が多く住む地域などが有名です)、県人会や出身校のOBOG組織などを形成したりすることを通じて、人々が自分と何らかの共通点を持つ他の人と強い関係を持とうとするのも、上で述べた現象の一つと考えることができるでしょう。
構成する人の数が多く、他の人がどのような価値観などを持っているのかという点に関して深い理解を持つ機会がない環境で見られるこのような傾向は、孤独感を回避しようとする姿勢の表れだと解釈することができますが、その原因が何であれ、人間を「多様な人と交流を持つ」ということとは逆の方向性に向かわせることになりそうです。もし、これが実際に見られるものだとすれば、様々な人とコミュニケーションを取ることを阻害するという点で、「人数の多い環境」は小論文試験対策の学習をする場としては最適なものとは言えないということになると思います。
それでは、次回も引き続き、「人数の多い環境」が帰国生入試やAO入試を受験する人に何を与えてくれるのかという点を検討する予定です。なお、今回の内容に関して、ご質問などがありましたら、以下のフォームよりご連絡ください。
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帰国生入試の受験準備を行うのに最適な環境とは?vol.10 ―帰国生大学入試についてvol.79―
(2012年4月23日 17:15)