帰国生入試の受験準備を行うのに最適な環境とは?vol.9 ―帰国生大学入試についてvol.78―

(2012年4月19日 14:25)

こんにちは。SOLの余語です。
「帰国生大学入試について」のvol. 71からvol. 77では、小論文試験ではどのようなことが求められているのかということを考察することを通して、「競争的な環境」が帰国生入試やAO入試などの受験準備を行う場として適切なものではないということを説明してきました。その主な内容は、以下のようにまとめられると思います。


・小論文試験で評価されるものには一定の形がないため、「競争的な環境」に置かれた受験生は授業中などに配布された模範答案やテキストの内容を模倣することに専念してしまう可能性がある。しかし、小論文試験では受験生が与えられたトピックについて自分なりに考えていることが答案を評価する基準の一つとなるため、そのような姿勢は望ましいものとは言えない(vol. 71727374)。


・「競争的な環境」では、人間関係が希薄化したり、関心や志向、アイデンティティなどの点で共通点を持つ人がつながりの強い小集団を形成したりする傾向がある。一方で、小論文を書く際には、その内容、構成、表現などに関してできるだけ多くの人が受け入れられるものを選択する必要があるが、このような選択能力は、多様なバックグラウンドや生活体験などを有する人々と交流する機会を数多く持ち、自分の書いた小論文の読み手に対するイメージを広げていくことによって習得するのが一般的である(vol. 757677)。



さて、最近、新聞広告などで様々な経済誌が塾や予備校などを「教育産業」とし、その活動を特集しているのを目にすることが増えたように思います。それらは、塾や予備校を一般的な企業と同様の経済活動の主体として扱い、他の塾の買収を通じた規模の拡大や利益を増大させるための様々な活動を行うなど、競争的な姿勢が見られることを高く評価するという内容になっていることが多いようです。しかし、僕は個人的にこのような風潮が受験生(特に、帰国生入試などを受験する人)にとって好ましいものだとは思えません。


その理由としては、塾や予備校などが経済的な競争を意識するようになると、教育機関の有能さを示す指標の一つとして社会一般で認められている受験実績を充実したものにするために、受験準備や学習を開始した段階で能力の高かった人を優遇するようになったり(塾や予備校が教育機関であるならば、学習の過程において遅れをとっている人に精力を傾ける方が道理に適っているはずです)、入試で扱われることの多いものに教育内容を絞ったりする可能性があることなどが考えられます。それに加えて、前回までの内容に関連した観点から考えると、物事の競争的な側面に一度注目し始めるとそれから視線を逸らして思考することが難しくなるという人間一般に見られる傾向(これは、自分の知的成長などを実現するのに必要だったものの多くを大人が忘れてしまっていることなどに見られます)が問題として浮かび上がってくるはずです。


現在の日本社会でも見られる通り、このような思考に囚われた人は自己肯定的に「競争は万能だ」ということを強調するようになり、社会活動の様々な側面への競争の導入を支持するようになります。そして、塾や予備校の中で競争と生徒の成長の関係を肯定的に捉える人が増加するにつれて、小論文試験の対策など、「競争的な環境」では十分な能力を習得することが望めないものを含む受験準備の場にまで、そのようなコンセプトが持ち込まれる可能性が出て来るのです(これは、受験生が学ぶ環境を整えていく場面で影響を与えるでしょうし、実際の指導の中でも受験生に入試の競争的な側面のみに注目させてしまうという状況を生じさせてしまうこともあるでしょう)。このようなことを考えると、上で述べたような「教育産業」の経済競争を鼓舞するような言説は望ましいものとは言えないということになると思います。


それでは、次回からは、「人数の多い環境」が帰国生入試などの準備を行うのに適切な環境かという問題を検討する予定です。なお、今回の内容に関して、ご質問などがありましたら、以下のフォームよりご連絡ください。


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