中国語圏の国の現地校に通う人の大学受験についてvol. 5―帰国生大学入試についてvol.69―

(2012年3月5日 17:45)

こんにちは。SOLの余語です。
前回は、自分の主張を説得力あるものにするために十分な論拠を伴った「評価される小論文」を書けるようになるためには、「ある結論に簡単に飛びつかないための忍耐力」を身に付けておく必要があるということを述べました。これは、日本の大学の帰国生入試やAO入試などで小論文試験の出来をもって勝負しようという人には大きな意味を持つ素質であると言うことができると思います。


しかし、現代社会(特に日本)では、(マスメディアの報道などを見る限り)自分の考えを明解な形で、かつスピード感を持って形作る能力を持つ人材(例えば、その主張に中身があるかどうかは判断を迷うところですが、大阪市の橋下市長はこのような人材と理解されているでしょう)が好まれるようになっています。また、同時に、情報技術の発展などで参照できる資料を数多く確保できるようになったことによって、高校の課題でレポートを作成する際などに既存の文章からコピー&ペーストをすることが容易になっている状況があります。このような環境の中で、若い人が前回の記事で述べた「忍耐力」を自分のものにするのは難しいことです。


それには、元々、人間の脳にはある問題について結論の出ない不安定な状態にあることを嫌う傾向があり(これは、特に生活体験が十分に蓄積されていない人には強く見られるものです)、時間や手間をかけて物事を考える機会を与えない現在の状況はこの人間の脳の特徴に「火に油を注ぐ」ことになる可能性があるということが背景にあります。そして、以前と比較すると、実際に腰を据えて物事を考えようとする人は僕らの生徒の中でも減ってきているような印象を持っていますが、これが社会全般的に見られる傾向なのであれば、最近の社会的動向においては「忍耐力」を身に付けるために何らかの意識的な取り組みが必要だということになるはずです。


物事を思考する際の「忍耐力」を自分のものにするための鍵は、様々な社会問題や文化、そして一人ひとりの人間には多面性があり、簡単に割り切れるものではないという認識を深めることにあります。例えば、人間は性格だけを考えても、周りの人に好かれるものだけを備えているということは珍しく、お金に関しては非常にケチでつまらないけれど、他方で責任感にあふれ周りの人のことを気遣うことができるという好悪が分かれるような人格が共存しているケースが多く見受けられます。それに、様々な事柄に関する嗜好や癖、習慣としていること、そして話し方や背格好などといった外面的な特徴までを合わせて考えると、人間は付き合うべきかということなどを評価することが難しい複雑な存在だと言うことができるでしょう。


このように複雑な存在である人間と長い期間に渡って関係を構築しようとする中で、多くの人はある時点まで見ることのなかった特徴などが自分の前に表出してくることを繰り返し体験し、人間に多面性があることを理解するのですが、相手の人格の全体像に関するおおよその理解を得るためにエネルギーや時間を使うことなく人間関係を形成するか否かを判断していては、このような自分の視野を広げる機会を失ってしまいます。そして、これは他の多面性を持つ事柄についても同様で、ただ単に不快に感じるとか、自分の考えやこれまでの生活体験に合わないといった単純な理由だけで避けてきたものと関係を持とうとする試みなしには、自分の思考する過程に深みが出ることを期待できません。この点に関しては、嫌悪感を持つような事柄にも自分から対面するよう、肚をくくるしかないのです。


よく大人が子どもにするような説教くさい話になってしまって申し訳ないですし、面倒なことであることは重々承知していますが、今まで不快感などを理由として避けてきたものと積極的に関係を構築することは、小論文試験で有利な立場に立つために必要なことです。特に、小論文試験を中心に勝負をしようと考えている人は、新しい関係性にできるだけ身を投げ出すようにしてもらえればと思います(ただし、言うまでもないことかもしれませんが、何らかの実害を及ぼす可能性が高いものとまで関わりを持つ必要はありません)。


それでは、次回からは帰国生入試を受験するために必要なものについて、より一般的なものを取り上げて説明したいと思います。今回の内容に関して、ご質問などがありましたら、以下のフォームよりご連絡ください。


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