こんにちは。SOLの余語です。
前回の記事では、帰国生入試の受験準備を行う場を決める際には、どのような環境が適切なのかということについて立ち止まって考える必要があると述べました。この点に関して、「人数が多くて、競争的な環境」がそれに当たるのではないかと考える人は多いと思いますが、まずはそのうち、「競争的な環境」で帰国生が大学受験準備を行うことが望ましいのかどうかを検討してみましょう。
「競争的な環境」はそれに参加する人が自らの能力を高める上で最もよいものであるという考えは、最近のマスメディアの記事や様々な論考で広く見かけることのできるものですし、例えば生物の世界では自然淘汰といった現象が存在するということなどを教えられてきた現代人にとって直観的に受け入れやすいものです。確かに、成功するのに一定の数値目標をクリアすることが求められるスポーツ競技の世界のように、「到達すべき地点」が明確になっているような状況では、「競争的な環境」の中で毎日を過ごすことが大きな意味を持っているのは理解ができます(僕はスポーツを本格的にプレイした経験がないので、テレビなどで接することのできるアスリートに関する情報に依拠した上での判断ですが)。
一方、「到達すべき地点」の判断が難しい状況において「競争的な環境」に置かれると、人間はどのような行動をとる傾向にあるでしょうか。例えば、現在の携帯電話市場は激しい競争が展開されている場の代表例だと考えられますが、そこに参入する企業はメーカーもサービス提供者も、少なくとも始めは「顧客の満足度の高い機種やサービスはどのようなものか」ということを真剣に考えていたはずです(もちろん、今も考えているところもあると思います)。しかし、この問題に確定的な答えを導き出すことが、市場には生活状況などが大きく異なる様々な顧客がおり、その一人ひとりが携帯電話に求めるものも多様であることを考えると、非常に難しいものであることはマーケティングや携帯電話業界の実情に疎い僕でも容易に想像できます。
そこに、iPhoneのような爆発的な売り上げを記録する商品が登場したことで、ほとんどのメーカーはその性能やデザイン的な特徴を模倣したものを市場に出すという方向性を選択しています(細かな差は色々とあるのかもしれませんが、携帯電話を取り扱う店舗に行くと右も左も似たような商品ばかりです)。また、日本では回線サービスを提供する大手企業のうち2社がiPhoneを販売し、残る1社も来年の夏には取り扱う予定のようです。このような市場受けがよいということが実証された商品やサービスを模倣するというのは、自動車業界やIT業界といったその他の主な産業分野においても広く見受けられる現象であるということは、これまで様々な論者によって指摘されてきました。
上で述べた社会現象は、その理想的な形について完全な合意を見出すことが難しい(詳しくは次回の記事で述べますが、評価に関して絶対的な基準がなく、「よい」と判断されるものには多様な形がありうるということです)小論文やエッセイを書くことを求められる帰国生入試の準備をどのように行うのが望ましいのかということを考える上で示唆に富むものだと思います。次回は、その点について説明する予定です。
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帰国生入試の受験準備を行うのに最適な環境とは?vol.2 ―帰国生大学入試についてvol.71―
(2012年3月16日 16:45)