こんにちは。SOLの余語です。
前回の記事では、オーストラリアやニュージーランドの高校に通う単身留学生にとって、最終学年が始まる前に受験準備を開始し、できるだけ多くの小論文課題にふれることは、自分が入学を志望する学部・学科を決定する際に大きな意味を持つということを述べました。今回は、この学部・学科の選考ということに関して、前回の記事の内容に補足説明をしたいと思います。
受験生の中には、受験する学部や学科を決める際に、自分がどのようなことを学びたいのか、将来の希望がどのようなものなのかといった点と並んで、自分にはどの学問を学ぶ適性があるのかということを基準にしたいと考える人がいます。大学での学びは4年間という長期間に及ぶものですし、専門性が高いものですので、そこでの生活を充実したものにするためには、自分で何かを学んでいて成果が上がっていると感じられることが重要で、自分に学ぶための適性がある学問を扱う学部や学科を選びたいと考えることは十分に理解できます。
ある人がどのような学問的適性を持っているかについては、その人が書いた小論文を見ることである程度、確かな判断ができます(「ある程度」という語を入れたのは、大学入学後にその人が経験することなどによって、受験時に有していた能力とは別のものが開花する可能性があるからです)。例えば、前回の記事でも例に出した、親がよりよい教育を受けることができるよう子供に様々なサポートをするのは、自分の将来の安定を確保するための投資であるという経済学的な見方に対して、親の子供に対する愛情という視点が欠けているという内容の文章を書いた人は、経済学系以外の学部が合っている可能性があります。
また、以前にある大学の法学部で、ある業者から何も知らずに絵を購入した人とその絵を以前にナチスによって奪われた人がいた場合、そのどちらにその絵の所有権を与えるべきかということを論じることを求める問題が出題されました。法学的なものの見方についての理解を深める学習を一定程度した段階で、この問題について当事者のどちらかに一方的に肩入れするような主張(その絵を奪われた人がかわいそうだという理由で、その他の当事者がその絵の流通の経緯について何も知らないことを無視するようなものがそれに当たるでしょう)を展開する人は、法学部にはあまり向いていないと考えられます。
しかし、高校を卒業したばかりの人が上で述べたようなことを自ら判断するのは難しいことです。それは、ある学問を学ぶにはどのような能力が必要であるかは、一つ一つの学問がどのような事柄を、どのような観点から分析するのかということについて、一定程度以上の理解がないと分からないからです。また、内田樹氏がその著作の中で、「シャーロック・ホームズ」シリーズの作者であるコナン・ドイルを引き合いに出して、そもそも人間には「自分の向いているもの」と「自分のあこがれているもの」を混同する傾向があると述べていますが、向上心の強い人や社会経験の少ない人は「自分ができること」を当然に「他人もできること」と見なしてしまい、自分の学問的適性の判断から除外してしまうということがあると思います。
このようなことを考えると、学問的適性を軸に志望する学部・学科を判断したいという人は、なるべく多くの小論文課題に取り組むようにすべきですし、また小論文の授業を担当する教師と密接にコミュニケーションを取ることのできる学習環境で受験準備をするのがいいでしょう(これに加えて、SOLのように授業を担当する教師が進路についての相談に対応するということがあれば理想的です)。これから受験準備をする場所を選ぶという人は、選択の過程でこの点も考えに含めるようにしてください。
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自分の学問的適性はどのように判断すべきなのか? ―帰国生大学入試についてvol.61―
(2012年1月23日 16:55)