こんにちは。SOLの余語です。
TOEFL対策や早稲田大学・上智大学の入試対策などの授業で、英語エッセイの書き方の指導をしていると、帰国生や海外生でwouldやcouldを多く使う人を見ます。実は、これも今までに説明してきた仮定法で、その用法には注意が必要です。
上で述べたような人は、例えば、「自分の住む町に原子力発電所が建設されることになったが、これに賛成か、反対か」というテーマでエッセイを書く時に、反対という立場を表明した後で、以下のような文を書きます。
I would discuss problems resulting from building a nuclear power plant in my town.
この文は、wouldを使っている場所にwillを置くこともできますが、上のような形にすることで仮定法の文と同様に、直接事実を表現するのではない表現になります。それによって、「もし許されるならば」、もしく「もし自分の認識が正しいならば」という仮定を含むことになり、文全体の内容が控えめな印象を与えることになるのです。これは、自分の考えが本当に正しいかどうかということを読み手に委ねるというニュアンスを出すことにもつながりますので、自分の考えを相対化できているという点で好印象を与えることになるという効果があるでしょう。
ただし、このような表現には問題もあります。まず考えられるのが、自分の意思が強く伝わらないということです。控えめな表現をすることは、確かに上で述べたような形で精神年齢の高いことを伝えてくれるかもしれませんが、一方で、読み手によっては「十分な考えなく何かを話している」という印象を与える可能性があります。
また、文の内容によっては、考えていることと反対のことを伝えてしまうことになることも考えられます。例えば、上のテーマで、「原子力発電所に事故があった時には周囲の生態圏に悪影響を及ぼす」ということを述べようとして、以下のような文を書いたとしましょう。
Accidents in a nuclear power plant would harm the biosphere around it.
このような内容の文でwouldを使うと、その他の多くの原因となる要素が偶然にも原子力発電所の事故が起きた時点で存在した時に(「万が一」ということですね)悪影響を及ぼすという印象を与えてしまう可能性があります。そして、前後の文で書いたことが読み手にうまく伝わらない場合には、現在の状況にはない条件が加わると原子力発電所の事故が周囲の生態圏に危害を加えることになる(=今のままでは危害を加える可能性はない)ということを読み手に伝えることになりかねません。
エッセイなどを書く時にwouldやcouldを使う場合には、それが仮定法の文として読まれる可能性があることを考えておかないと、上のように自分の伝えたいこととは大きく異なる文を書いてしまうことがあります。その点に十分な注意を払いながら、これらの語を使うようにしてください。
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ifで始まる部分がない仮定法の文についてvol.5 ―英語学習の勧めvol.87―
(2011年8月15日 12:05)