「個性的」な小論文を書けるようになるべきか?vol.3 ―帰国生大学入試についてvol.11―

(2011年1月11日 16:10)


こんにちは。SOLの余語です。
前回は、「個性的」な小論文を書くことを奨励することによって、読み手に説得力を感じさせないような小論文を生徒が書くようになってしまうということを述べましたが、このような指導は生徒にとってより大きな問題を引き起こします。今回は、その問題について説明します。

これまでの2回の記事で述べてきたように、社会問題や学問的なテーマに関して、破綻のない形で自分なりの意見を提示することは大学受験生にとってだけでなく、大人にとっても難しいことです。ここで、さらに「他の人と同じことを述べてはならない」という条件を付け加えること(個性的な小論文を書けという指導は生徒にそう受け取られがちです)は、多くの大学受験生にとって、克服しがたい精神的な負荷をかけられていることを意味します。

前回の記事では、このような負担に自分の主張に相反するような要素を全て無視することによって対応する人がいることを述べました。しかし、多くの帰国生は、小論文試験においてより低い評価を受けるであろう、そして彼らの精神的な成長にとってより大きな悪影響を与える方法で対応しようとします。それは、自分なりの立場を提示することを求められている問題については簡単にふれるだけで(もしくは、何も語らずに)、関連する他の話題に話の流れを展開するというものです。

この点については、僕らが2年前に指導していたF君を思い出します。彼は周りの生徒よりも年齢が上で、口頭で自分の考えをうまく提示できることが多くありました。しかし、いざ小論文を書く段階になると、問題で論じることが求められているテーマについて語ることを回避し、それに関連する話題について論じることに終始するのです。例えば、「格差社会」という現象に関する評価について述べなくてはならない場面で、彼は文章の始めの方で「格差社会は望ましくない」と一言書いただけで、その後は、それを解決するための方策について延々と論じるというような形の答案を提出することが多くありました。しかし問題で求められているのは「現象に関する評価(格差が良いか悪いか)」であって、解決策ではありません。

彼は、早稲田大学政治経済学部AO入試のために、6月から10月まで小論文試験対策の授業を受け、毎週4~5枚の答案を提出していました。答案が提出されるたびに、こちらも上で述べたような問題があるということをしつこいくらいに指摘し、彼もそれを理解しているようでしたが、それに対応しようという姿勢が答案上では見られませんでした。

そこで、何が問題解決のための障害になっているのかを彼に確認したところ、中学2年生の時に、海外にある日本の塾で日本語作文の授業を受講し、そこで「他の人が書かないような作文を書くべき」という指導を受けたことがわかりました。それ以来、彼の頭の中では、作文や小論文では他の人が書きそうなことは書いてはならないということが大きなウェートを占めていたそうです。しかし、小論文のテーマとして出題されるような問題に関して、新聞や本では見かけない自分だけの主張を形成するのは大変難しく、結果的に「問われていることには答えない」という形で、「他の人が書かないものを書く」という条件を満たそうとしたのです。

このように、生徒に「他の人が書かないような文章を書くべき」と理解されるような指導を行うことは、社会問題や学術的なテーマに関して、彼らの口をつぐんでしまうという効果を持つことがあります。これは、問題に真摯に対応していないという点で、小論文試験ではマイナスの評価を受けるということにつながります。また、SOLでは、大学入学後の生活を視野に小論文対策の指導を行っていますが、レポート作成や就職活動を行う際に、ここで問題としている指導が悪影響を及ぼす可能性があるとも考えられるでしょう。

「個性的」な文章を求める指導が行うということは、小論文試験では何が求められているのかということや、生徒が実際にどのような反応を示すかということなど、実態に関する理解や指導経験が欠けているということを意味しているはずです。大学受験をする年齢の人はどのようにものを考えるかということに基づいた指導を、今後もSOLでは行っていきたいと思います。

それでは、今回の内容に関してご質問などありましたら、以下のフォームよりご連絡ください。

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